筋トレは究極のオナニーだと思ってる。いきなり下品な表現で申し訳ない。でも、これは僕が筋トレを続ける中で、たどり着いた一つの答えなので。

筋トレをする理由を聞かれたら、多くの人は「健康のため」「カッコいい身体になりたいから」「自分に自信を持ちたいから」と答えるだろう。

もちろん、どれも間違っていない。ただ、最近の僕の考えはこんな感じ。

「そもそも筋トレに、そんな立派な理由が必要なのだろうか。」

重たいものを持ち上げ、筋肉を疲労させ、翌日には筋肉痛に苦しむ。それなのに、数日後にはまた同じことを繰り返す。冷静に考えれば、なかなか奇妙な行為でしょ。

誰かに頼まれたわけでもないし、筋肉を大きくしたところで給料が上がるわけでもない。それでも僕は筋トレをする。なぜか?

「筋トレが好き。自分が気持ちいい。ただそれだけ」

そして最近は、筋トレに限らず、人生そのものが自己満足を満たすゲームなのではないかと思うようになった。

筋トレなんて、結局は自己満足でしかない

筋トレをしていると、「そんなに鍛えて何を目指しているの?」と聞かれることがある。

別にボディビルダーになりたいわけでもないし、筋肉を使って何か大きなことを成し遂げたいわけでもない。

40代になった今、筋肉が多少大きくなったところで、人生が劇的に変わるとも思っていない。

それでも、昨日より少し重たい重量を扱えたり、鏡に映る身体が以前より引き締まっていたりすると、妙にうれしい。他人からすれば、どうでもいい変化だろう。

ベンチプレスの重量が5kg伸びたところで、日本経済が成長するわけでもない。僕の大胸筋が発達したところで、世界のどこかで起きている争いがなくなるわけでもない。

それなのに、本人だけは満足している。まさに究極の自己満足だ。僕はそれでいいと思ってる。

むしろ、誰の役にも立たないことに本気になれるなんて、なかなか贅沢な人生ではないだろうか。

他人にとって価値があるかどうかと、自分にとって価値があるかどうかは、まったく別の話なのだ。

人生に意味を求めすぎると、つまらなくなる

最近、成田悠輔さんの発言や考え方に触れる機会が増えた。

僕がとくに面白いと感じるのは、世の中で当たり前とされている価値観を、まったく違う角度から眺めてみる姿勢だ。

それに影響されて、僕自身も「意味」や「価値」について考えることが増えた。僕たちは、何かをするたびに意味を求めすぎているのかもしれない。

  • 読書をするなら知識を身につけるべき
  • 勉強するなら仕事に活かすべき
  • 時間を使うなら成長するべき
  • 趣味にお金を使うなら、それに見合う価値が必要

もちろん、合理的に考えることは大切だ。

僕自身、個人事業主として活動している以上、時間の使い方や仕事の成果にはこだわっている。ただ、その考え方を人生のすべてに当てはめる必要はないと思う。

  • たとえば、
  • 好きな映画を観ることに意味は必要だろうか
  • 美味しいものを食べることに、生産性は必要だろうか
  • 休日に何もせず、ダラダラ過ごすことは本当に無駄なのだろうか

僕はそう思わない。

人生のあらゆる行動に意味や成果を求めはじめたら、いつまでたっても心が休まらない。

意味のあることだけを追求する人生は、必ずしも面白い人生とは限らない。

むしろ、意味のないことに自分だけの価値を見いだせる人の方が、人生を楽しんでいるのかもしれない。知らんけど。

人生とは自己満足を満たすゲームではないか

少し極端な話をしよう。

僕は最近、人生とは自己満足を満たすゲームなのではないかと考えている。

  • お金を稼ぎたい
  • 仕事で成功したい
  • 筋肉を大きくしたい
  • 家族と幸せに暮らしたい
  • 誰かに認められたい

一見すると、それぞれ違う目的に見える。でも、その根底にあるのは「そうなった自分に満足したい」という欲求ではないだろうか。

たとえば、お金を稼ぐこと自体が目的の人もいれば、お金によって自由な時間を手に入れたい人もいる。

仕事で成功して社会的な評価を得たい人もいれば、誰にも知られず静かに暮らしたい人もいる。

どちらが正しいという話ではない。結局は、自分がどんな状態に満足するかの違いなのだと思う。

そして、ここが面白いところだ。

他人が決めた成功を手に入れても、自分が満足できなければ、そのゲームは楽しくない。

年収1,000万円を稼いでも満足できない人がいる一方で、好きな仕事をしながら手取り15万でも、穏やかに暮らすことに幸せを感じる人もいる。

筋トレも同じ。誰かにとっては無駄な時間でも、僕にとっては楽しい時間。人生というゲームには、全員共通のクリア条件なんて存在しない。

「自分が何に満足するのか」その答えを探し続けること自体が、人生の面白さなのかもしれない。

他人の評価を気にするほど、人生の自由度は下がる

僕も今年で41歳、若い頃に比べると、他人からどう見られるかを気にすることが少なくなったように思う。

もちろん、仕事で成果を出しお金を稼ぐためには、一定の評価は必要。

個人事業主として活動している以上、クライアントから信頼され、成果を出し続けなければ仕事はなくなる。だからこそ、仕事では市場価値を意識するし、新しい知識やスキルを学ぶことも欠かせない。

でも、人生のすべてを他人の評価で決める必要はない。

筋トレをしていると、SNSには自分より筋肉が大きい人がいくらでもいる。

自分より重たい重量を扱う人もいるし、同年代でも驚くほど引き締まった身体を維持している人もいる。そんな人たちと比較していたら、キリがない。

そもそも、僕は誰かに勝つために筋トレをしているわけではない。自分が満足できる身体を目指しているだけだ。

それなのに、他人と比較して落ち込んでいたら、本末転倒ではないだろうか。

人生も同じだと思う。

  • 誰かの年収
  • 誰かの肩書
  • 誰かの暮らし

それらを参考にするのは悪くない。

でも、他人の人生を基準にして自分の幸せを決めてしまうと、いつまでも満足できなくなる。

他人のゲームで勝とうとするのではなく、自分のゲームを楽しめばいい。

自分なりに楽しめ。これが今の僕の最適解かも。

自己満足を追求することは、決して悪いことではない

「自己満足」という言葉には、どこか否定的な響きがある。

「あの人は自己満足でやっているだけ」

そんな言い方をされると、まるで価値のない行為のように聞こえる。でも、僕は自己満足そのものが悪いとは思わない。

もちろん、自分の満足のために他人を傷つけたり、迷惑をかけたりするのは違う。ただ、誰にも迷惑をかけず、自分が楽しいと思えることに時間を使う。

それの何が悪いのだろう。

  • 釣りが好きな人は、何時間も魚がかかるのを待つ
  • ゲームが好きな人は、架空の世界で何時間も戦い続ける
  • 好きなアーティストを追いかけて、遠くまでライブに行く人もいる

興味のない人からすれば、どれも時間とお金の無駄に見えるかもしれない。でも、本人が満足しているなら、それで十分だと思う。僕にとっては、それが筋トレだったというだけの話だ。

そもそも、自分の人生なのだから、自分が楽しめなければ意味がない。

誰かに褒められるためだけに生きる必要もなければ、社会的に立派な趣味を持つ必要もない。

自己満足を追求することは、自分の人生を自分で選ぶことでもある。

そう考えると、自己満足という言葉が、少し違って見えてこないだろうか。

40代になった今、もっと自分の欲望に素直でありたい

40代になって感じるのは、人生は思っているほど長くないということ。

20代の頃は、40代なんてずっと先の話だと思っていた。でも、気づけば自分がその年齢になっている。おそらく50代も60代も、想像しているより早く訪れるのだろう。

それと同時に、明日が必ず来る保証は誰にもない。

そう考えると、他人の評価や世間の常識に振り回されて、自分の好きなことを我慢するのはもったいない。

もちろん、好き勝手に生きればいいという単純な話ではない。家族もいるし、仕事もある。

果たさなければならない責任だってある。でも、その責任を果たしながら、自分の欲望にも素直でありたい。

  • もっと筋肉を大きくしたい
  • もっと面白い仕事に挑戦したい
  • 知らない世界を見てみたい
  • 昨日までの自分にはなかった価値観に触れてみたい

そんな欲望を、年齢を理由に諦めたくない。それに、自己満足を追求する人生は、決して現状に満足して何もしない人生ではないと思う。

むしろ、自分が何に喜びを感じるのかを知っているからこそ、夢中になれる。

誰かにやらされるのではなく、自分がやりたいから行動する。そこには、義務感とはまったく異なるエネルギーがある。「超楽しい!やってやるぜ!」みたいなね。

僕はこれからも、その感覚を大切にしていきたい。

まとめ|筋トレは究極のオナニー。それでいいじゃないか

最後にもう一度結論。筋トレは究極のオナニーだ。

誰かに求められたわけでもなく、誰かのためになる保証もない。ただ、自分が満足するために、今日も重たいものを持ち上げる。

そして、鏡に映る自分の身体を見て、勝手に満足する。他人からすれば、マジでどうでもいい。でも、それでいい。

人生なんて、突き詰めれば自分が何に満足するかを探し続けるゲームなのかもしれない。

お金を稼ぐことに満足する人もいれば、家族との時間に幸せを感じる人もいる。何かに挑戦することが好きな人もいれば、何もしない時間を楽しむ人もいる。そこに優劣なんてない。

大切なのは、他人が決めた正解を追いかけることではなく、自分が納得できる生き方を見つけること。

そして、僕にとって筋トレは、その考え方をもっともわかりやすく体現している趣味なのだ。

意味がなくてもいい。誰かに評価されなくてもいい。自分が楽しいなら、それだけで十分だ。

人生というゲームがいつ終わるのかは、誰にもわからない。

だったら、他人のスコアばかり気にするより、自分のゲームを思い切り楽しんだ方がいい。

さて、今日もジムで自己満足を満たしてこようと思う。誰のためでもない。

ただ、自分が気持ちよくなるために。それこそが、僕にとっての筋トレであり最高のオナニーなのだから。

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